Blog 真っ青な空

企業を定年退職したエンジニア、科学技術コンサルタントやってます。

「国民の文明史」を読む(9)

中西輝政著、「国民の文明史」を読んでいます。

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日本の歴史をたどりつつ、欧化の流れに日本人はどう対峙したのか、記されています。

 

その一つ、日本の哲学のこと。

 

善の研究

日本が欧米列強に肩を並べようと近代化に邁進していた明治時代。しかし「哲学」という言葉が翻訳されたばかりの日本では、およそ自分たち独自の哲学を構築できるなど思いもよらないことでした。そんな時代に、禅などの東洋思想や西洋の最新思潮と格闘しながら、日本だけのオリジナルの哲学を独力で築き上げようとした人がいました。それが西田幾多郎(1870-1945)です。彼の代表作が善の研究
「生きるとは何か」「善とは何か」「他者とどうかかわるべきか」といった、人生の根本的な問題を深く考えたものです。

 

日本に押し寄せる欧化の波の中で、ドイツ哲学を必死に日本化(和魂洋才化、換骨奪胎)したのが西田幾多郎ということです。

 

それについて、中西はこんな言い方をしています。

 

・・・西田幾多郎一門が、西田幾多郎のいちばんの核心部分を、継承しえなかったというと、では誰が継承したのかということになる。私は、それは京都大学でも理学部や工学部の人々だったと思う。ノーベル賞を受賞した湯川秀樹福井謙一を思い出してもらえばよい。彼らは、西欧の自然科学の体系を深く無自覚な「直観力」によってわがものにして、それに日本独特の「武的感覚」や「匠の精神」を発揮して、ギリギリまで追い詰めて、換骨奪胎してゆく。・・・・(中略)

湯川秀樹福井謙一の着想とか、直感というのは、実に日本的なものである。彼らが使う「直感」というのは、「えもいえぬ」説明できないものであり、実際、その底には西田の言う「絶対無」があったと、湯川や福井は自らの著作で語っている。それはたしかに「日本の科学」だったのである。・・・

 

日本で成功する科学、それも根源的な日本がベースとなっている、そんなことも言っているわけです。

 

おそらく、今の日本でも、なにを研究したらいいのか、どんな商品を開発したらいいのか、悩み苦しんでいると思います。でも、日本的な直感、それを信じてやり続けるべきということになると思います。

日本人が持っている直感、これはいいね、こうあるべきだよね、という、すとんと心に落ちて、理解ができるもの。それをやればいい。

 

海外でもいろいろ研究開発は進んでいますが、情報は情報として収集し、理解し、でも換骨奪胎して、日本人である自分の感性に合うように変えてやって、単純にこれはいいね、という研究、商品開発をやってゆけばいい、

 

そう思います。

 

「国民の文明史」を読む(9)(終わり) 完

 

「国民の文明史」を読む(8)

「国民の文明史」を読んでいます。

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実にざっくりなのですが、中西の著書、言いたいことは以下の2点・

1)日本の歴史は、「縄文なるもの」と「弥生なるもの」の繰り返し
縄文的に、平安な変化を嫌う時代があって、突如として、弥生的に、急激な変化が起こる時代がある。

 

2)また、日本文明には、独自に「換骨奪胎の超システム」があり、これを作動させることで進歩を遂げることができる。

 

そして、この換骨奪胎システムの失敗例が、大正期の政策であり、その帰結が昭和の大戦(敗戦)。

 

そんなふうに中西輝政著「国民の文明史」を読みました。

 

やっぱり、という論理でしたね。福沢諭吉が使った換骨奪胎。この重要性を認識していたのは、江戸時代、幕末を知る福沢の世代までであり、その後は忘れ去られていたようです。

言い換えれば、和魂洋才。

なにやら国粋主義的な匂いがする、古臭い言葉のようですが、そうではない日本文明を形成する大事なキーワードなのですね。

 

大正期に失敗した政策の中身は、グローバル化大正デモクラシー、国際協調などです。きらびやかで、耳障りのいい政策。でも、日本という国に合うようにこれを換骨奪胎をすることができなかった。だから失敗した。そして、その後の政治的な流れと、換骨奪胎できなかったことに対する反動(軍部の動き)があいまって、戦争に突入してゆきました、ということです。

 

ある程度、納得できました。

 

しかし、大正期の失敗の影響は、今でもあるように思えます。グローバル化、国際協調などの言葉。あるいは大正デモクラシー時期の社会主義の流れ、など。

 

改めて、歴史の連続性、必然性を確認することができました。

 

「国民の文明史」を読む(8)(終わり)

「国民の文明史」を読む(7)

中西輝政著 「国民の文明史」を読んでいます。

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 江戸、明治、大正時代と読んできて、次はいよいよ昭和です。

昭和は日中戦争で始まり、太平洋戦争での敗北を経験します。

 

満州国の建国、リットン調査団、そして国際連盟脱退、さらに日独伊三国同盟。昭和の大戦へと突き進んでゆきます。

 

「国民の文明史」では、この昭和初期の悲劇的な動きは、大正時代の3つの政策的な誤りの帰結であるとしています。

・金解禁、金融とデフレによる日本経済のグローバル対応

無産政党が躍進した普通選挙の実施、大正デモクラシーと言われた議会政治の改革

・国際協調を基本とした幣原外交

 

昭和初期には、日本軍、特に陸軍が統帥権参謀本部)の名のもとに、欲しい限りの横暴を繰り返し、戦争に突き進んだ、とも言われているのですが、これにはあまり触れられていません。おそらく、中西が言いたいのは、大正時代の政策や社会的な動きに対する反作用として、軍が非合法な動きをとった、ということのようです。

 

したがって、太平洋戦争の敗北につながる要因は、実は大正期の、未熟な政策の立案と実施である、ということです。

 

それは、グローバル化大正デモクラシー、国際協調など。

 

 

これらはほとんど欧米からきたものです。極端な欧化の流れです。

これを、日本は換骨奪胎することなく、移植してゆきました。

換骨奪胎(かんこつだったい); 骨を取り換え、子が宿る胎を奪(うば)いとるという意味から、先人の発想や形式を利用しながら、自分独自の作品につくり直すこと。

 

日本という国が行うべき、というか本来持っている「換骨奪胎の超システム」を作動できなかった。それが、昭和の大戦の原因であるということです。

 

「国民の文明史」を読む(7)(終わり)

 

 

 

「国民の文明史」を読む(6)

中西輝政著 「国民の文明史」を読んでいます。

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中西輝政の「国民の文明史」を時代とともに読んでいます。

江戸、明治時代と読んで、次は大正時代です。大正時代は、1912年(大正元年)7月30日から1926年(大正15年)12月25日まで。短い期間ですが、日本にとっては重要な動きがあった時代だそうです。

 

明治の成功の、次の世代。その成功が息苦しくて、外部からはさらに欧化の流れが強まり、個人主義に傾く時代、徴兵忌避が横行する時代となってゆきます。そして、その流れは、明治の「和魂洋才」のアンチとして「洋魂洋才」を志向するようになり、大正デモクラシー共産主義に傾斜する)、白樺派が代表する知識人の現れ、へとつながってゆきます。

大正デモクラシーという強力な欧化の流れを換骨奪胎することなく、取り入れてゆきました。

換骨奪胎(かんこつだったい); 骨を取り換え、子が宿る胎を奪(うば)いとるという意味から、先人の発想や形式を利用しながら、自分独自の作品につくり直すこと。

 

また、政策で言えば、幣原喜重郎による国際協調路線、あるいは金解禁、そして普通選挙の実施(ロシア革命時期と重なり社会主義勢力の勃興を許した)、治安維持法の設置、護憲運動など。しかし、明治の栄光を背負った大正の政治家たちは失敗しました。

 

これが、大正時代だったということです。

確か、歴史の教科書では明治も含めて、国会開設、自由民権運動がさかんになって、政府はその動きに抗することができず、やむなく普通選挙を実施することになったが、その代わりに治安維持法も成立させた。このファッショ的な流れが昭和の戦争につながっていった、と書かれていたと思います。

 

実際は、明治の戦争に勝利したあと、空虚感があって、その隙間に入り込んできた欧化の強い流れに押し流され、なんとなく(幕末明治ほど意志を持った換骨奪胎を行うことなく)、新しい政策を行ってしまった。大正はそんなお粗末な時代だったようです。

 

「国民の文明史」を読む(6)(終わり)

 

「国民の文明史」を読む(5)

中西輝政著 「国民の文明史」を読んでいます。

 

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中西は、その著書の中で日本文明が持つシステムは2つある、として以下を挙げて、実際に日本史を検証しています。
・「縄文的なるもの」と「弥生的なるもの」が交互に現れる、劇的な相互変換システム。
・外から流入する文化、技術、文明を日本にあうように変えてから受け入れる「換骨奪胎の超システム」

前回は江戸時代。今回は明治について記してみます。

明治はサクセスストーリーです。日清、日露の戦争勝利。そして欧米列強への仲間入りができた時代です。

それは、五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)を基本方針として進められてきた結果でした。

五箇条の御誓文明治元年3月14日[1](1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針

・広く会議を興し、万機公論に決すべし。
・上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
・官武一途庶民に至るまで、各々その志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
・旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
・智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。

最後の方針は、日本は文明開化、欧化に向かうべき知識を世界に求めるが、その一方で皇室を中心とする日本の国家のあり方を振るい起こすべき、と言っており、単に知識、思想を導入するのではなく、日本の国家を忘れるな、という警鐘となっている。

そして「和魂洋才」でやってゆこうと考え(これがまさしく換骨奪胎システムの動作)、明治はうまくゆきました。

 

そして、その栄光が為されたあと、日本にはある種の空虚感が漂い、知識人たち、次のリーダーたちは、なにを自分たちはやればいいのか、わからなくなった。それが実は明治末期の日本の姿だったのだそうです。また海外では、社会主義が勃興し、ロシア革命への道をひたひたと歩んでいる時期でもあったのです。

 

「国民の文明史」を読む(5)(終わり)

「国民の文明史」を読む(4)

中西輝政著 「国民の文明史」を読んでいます。

前回は、日本文明における「換骨奪胎の超システム」について記しました。

換骨奪胎、難しい漢字の羅列なのですが、

換骨奪胎(かんこつだったい); 骨を取り換え、子が宿る胎を奪(うば)いとるという意味から、先人の発想や形式を利用しながら、自分独自の作品につくり直すこと。明治の福沢諭吉も使った言葉ですが、外から流入する文化、技術、文明は無条件で受け入れるのではなく、日本にあうように変えて、あるいは部分的に拒絶してから、受け入れる、ということです。

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中西はこのシステムの動作を日本歴史の中で検証しています。

 

ここでは、自分がもっとも関心が高い江戸、明治、大正、昭和の話を書いてみることにしてみます。

もともと司馬遼太郎歴史小説を読んで、その司馬史観に触れ、これが日本人というものか、と理解しようとしたところ、昭和の時代で、空白になってしまった。それを埋めたくて中西の「国民の文明史」を読んでいるのです。

 

まず、江戸時代についてです。

 

弥生的な戦国時代が終わり、弥生的な徳川家康が、江戸幕府を開きます。これは、源頼朝による鎌倉幕府をまねたものです。そのあと、17世紀の日本では、自生的に「江戸文明」が興隆することになります。この間に、中国から伝わった儒教を、換骨奪胎することで日本独自の儒学が学ばれるようになります。この儒学国学へ変化してゆき、幕末の維新思想につながってゆくことになります。これは、「武士道」の形成とも重なり、日本人のアイデンティティーとなってゆきました。

そして、江戸時代という縄文化から、明治維新という弥生化に向かうことになるわけです。

 

この中西の議論は、ほぼ、歴史小説家の司馬遼太郎が考えていた歴史観と同じように思えます。江戸時代の教養が儒学教育中心で、その教育がベースとなって明治維新が為された、ということ。司馬の小説を読んで感じる、わくわくとした躍動感、あるいは読後のすがすがしさの一部は、おそらく、この儒学教育、武士道の空気から漂ってくるものだと思います。

 

次は明治の場合。

 

国民の文明史を読む(4)(終わり)

 

 

 

「国民の文明史」を読む(3)

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国民の文明史を読んでいます。

 

 

前回は、日本文明が持つシステムについてでした。
「縄文的なるもの」と「弥生的なるもの」が交互に現れる。劇的な相互変換。
要するに、現状に甘んじてなんの違和感も感じない、平和で協調的な時代(縄文的)と劇的な変革を欲求する時代(弥生的)が代わる代わる現れるシステム、それがあるのが日本文明、ということでした。

 

それに加えて、大事なのは「換骨奪胎の超システム」が作動する、ということ、と中西は言います。

換骨奪胎(かんこつだったい); 骨を取り換え、子が宿る胎を奪(うば)いとるという意味から、先人の発想や形式を利用しながら、自分独自の作品につくり直すこと。

 

これはとても大事な話かな、と思います。換骨奪胎は、明治の福沢諭吉も使った言葉ですが、外から流入する文化、技術、文明は無条件で受け入れるのではなく、日本にあうように変えて、あるいは部分的に拒絶してから、受け入れる、ということです

 

このシステムが誤作動すると、すなわち、日本に合う、あわないを吟味することなく取り入れてしまった場合は、その修正に、劇的な変革が必要になる(弥生化が必要ということ)。

 

このあと、中西は、実際に日本の歴史の動き、流れを検証しています。

 

国民の文明史を読む(3)(終わり)