静岡県浜松市中区中央(昔の新町)の旧東海道、国道152号線沿いに子授け地蔵という地蔵尊があります。
意外と大きなお地蔵さんです。
子授け地蔵ということで、子宝に恵まれるようにお願いするお地蔵さんなのですが、元は、江戸時代にコレラで亡くなった人たちを供養するためのものだったようです。
江戸時代のコレラ・・・
江戸時代、幕末の安政5年(1858)、江戸の人々はコレラの猛威にさらされました。この年、長崎に始まったコレラの流行は、上方、東海道を経て7月に江戸に至り、8月に大流行しました。江戸における病勢は9月に入って衰えましたが、コレラは各地で小さな流行を繰り返したのち、文久2年(1862)に再び流行しました。文久2年は、夏に麻疹が大流行したのち追い討ちを掛けるようにコレラが流行し、あわせて安政5年の数倍の死者が出たということです。 この感染源はペリー艦隊に属していた米国艦船ミシシッピー号で、中国を経由して長崎に入った際、乗員にコレラ患者が出たということだそうです。
1958年からはじまって何度か、流行を繰り返し、終息したのが1862年。
実に4年あまりです。その間の江戸の死者数は約10万人とも、28万人や30万人に上ったとも記録が残るそうです。
その時、幕府は以下の事柄を推奨したそうです。
「身体と衣服を清潔に保つ」
「室内の空気循環をよくする」
「適度な運動と節度ある食生活」
そして、幕末から明治にかけて、人々は風聞に惑わされながらも、身辺を清めて換気をし、外出を控えるなどの努力をして、感染の流行が過ぎ去るまで耐え忍ぶしかなかった。
それは、今でも大差ない。
お地蔵さんを見ながら、そう思いました。
コロナはいつか終わるのは間違いないのですが、先が見えない、というのはつらいですね。
閑話休題(11)(終わり)