歴史小説家の司馬遼太郎についてときどき書いています。自分ごときが、いろいろ書き連ねること、気が引けるのですが、臆せず書いてゆきます。
明治のできごと、日露戦争にいたる経緯を書いた「坂の上の雲」。
伊予松山の下級武士の出である、秋山好古、秋山真之の兄弟、そして正岡子規。
児玉源太郎、東郷平八郎、乃木希典、山本権兵衛、広瀬武夫、明石元二郎、大山巌などなど、明治の元勲たちも数多く登場しています。とてもスケールが大きくて、日露戦争での日本勝利につながる物語なのでとても人気が高い。そんな小説です。
そして、司馬は、戦争賛美の作品と誤解される危惧から、この小説の映像化・ドラマ化等の二次使用には一切許諾しないという立場を取っていたそうです。ただ、司馬の死後、NHKでドラマ化されました。そのドラマは、とくに戦争賛美とはなっていなかったと思います。
また、司馬はこの小説を執筆するにあたり「フィクションを禁じて書くことにした」とし、書いたことはすべて事実であり事実であると確認できないことは書かなかったと主張していた、そうです。ただ、乃木の描写は、乃木にとても厳しく、ほぼ「愚将」と断じており、この評価については、参照した史料が偏っているなどとの批判も多いようです。
新しい歴史教科書をつくる会副会長の藤岡信勝(教育評論家)はこの作品をきっかけとして自由主義史観を標榜するようになったとのことです。
※「大東亜戦争肯定史観」と「東京裁判史観」「コミンテルン史観」のいずれにも与しない立場を取っているとしており、「自由主義」という名前を冠しているのも、これらを廃した自由な史観だからだという意味
最近では、司馬史観という言われ方もするようです。
それほど偉大で、すばらしい歴史観ということだと思うのですが、今、ふと気が付くと、その小説の中身がすべて真実であるという意識が強く、その史観が身についてしまっているようです。
それはちょっといやかな。
司馬遼太郎のこと(3)(終わり)