思いつくままに司馬遼太郎について書いています。
前回は名作「坂の上の雲」のこと。
そして今回は、 『街道をゆく』シリーズの一つ、「台湾紀行」についてです。
1994年11月発行。
国家とはなにか」をテーマに、司馬が1993、94年に訪れた台湾を描いた長編。蒋家の支配が終了し、急速に民主化がすすみ、歴史が見直されようとしていた。司馬は台北、高雄、台東、花蓮などを訪ねる。「台湾」という故郷を失った日本人もいれば、「日本」という故郷を失った台湾人たちもいた。巻末には当時の李登輝総統との歴史的な対談「場所の悲哀」も収録している。
1993年から94年に司馬は台湾を訪れています。その際、中共(中国共産党)から横やりが入ったそうですが、それでも司馬は台湾を訪れました。そして、様々な場面で、その当時の台湾人(当時は台湾人という表現もなく、中国国民党が支配する中国という認識)が、日本を慕う姿を目撃し、記録しています。また、急速に民主化に向かう台湾の実像も浮かび上がらせています。それは、今からすればもう25年も前の話なのですが、そのとき台湾が勝ち取った民主主義は、大陸から来た蒋家(蒋介石の一族)から奪い取ったものです。そして、その民主主義は簡単に手に入ったものではなく、白色テロなど、数万の犠牲の上に得られたものです。その痕跡は今でも、首都台北を巡ると見ることができます。
司馬の台湾紀行を読むと、戦前の日本統治の台湾の空気がじわじわと伝わってきます。そして、その現地の空気は、最近自分も台湾を訪れましたが、同じものを感じることができます。
当時、司馬は、大陸の中国にも好感を持っていたと思います(ずっと、専制的な王朝が支配していた中国にやっとできたまともな国という認識、新中国という言葉をよく使っていましたね)。
それでも、司馬は、台湾に行きました。そして名作「台湾紀行」を書きました。
なんとなく、これは戦争の時代を体験した司馬が、どうしても書かなければならなかったもの、そんな気もします。戦後、どうしようもない状況の中で、生きざるを得なかった台湾に対する日本人としての贖罪意識、当時、もうほとんど日本人であった台湾人に対するシンパシー、そんなものがあいまって書かれた文章のように思いました。
司馬遼太郎のこと(4)(終わり)