司馬遼太郎の作品を読みつつ、考えてきました。
司馬の歴史小説はとても面白くて、わくわくして楽しいものです。
そして、史実に忠実なので、その小説そのものが、日本の歴史である、と思えてきます。でも、それはあくまでも小説ですね。
司馬の小説、評論からは、明治から昭和、その連続性と必然性がわからない。
明治から昭和にいたる道。
その道は統帥権、参謀本部が牛耳る日本。司馬は、このような日本をあえて「異胎」がつくった国と呼び、「別国」とも言いました。司馬が、ずっと小説の中で考えてきた本来の日本ではない日本、という意味です。
もしかして、幕末から輝ける明治に向けて、実は日本人は失敗したのか、そんなことすら思えてくる。
司馬は、昭和の日本を「異胎」と言ってしまったことで、その解剖と分析を投げてしまった。そんな残念な気持ちにもなります。
でも、司馬は、歴史学者ではなく、歴史小説家です。自分が考えていることの回答は別のところに求めた方がいいのかもしれません。
京都大学の教授だった国際政治学者および歴史学者の中西輝政著、「国民の文明史」を読んでみることにします。
司馬遼太郎のこと(13)(終わり)