「国民の文明史」を読んでいます。
実にざっくりなのですが、中西の著書、言いたいことは以下の2点・
1)日本の歴史は、「縄文なるもの」と「弥生なるもの」の繰り返し。
縄文的に、平安な変化を嫌う時代があって、突如として、弥生的に、急激な変化が起こる時代がある。
2)また、日本文明には、独自に「換骨奪胎の超システム」があり、これを作動させることで進歩を遂げることができる。
そして、この換骨奪胎システムの失敗例が、大正期の政策であり、その帰結が昭和の大戦(敗戦)。
そんなふうに中西輝政著「国民の文明史」を読みました。
やっぱり、という論理でしたね。福沢諭吉が使った換骨奪胎。この重要性を認識していたのは、江戸時代、幕末を知る福沢の世代までであり、その後は忘れ去られていたようです。
言い換えれば、和魂洋才。
なにやら国粋主義的な匂いがする、古臭い言葉のようですが、そうではない日本文明を形成する大事なキーワードなのですね。
大正期に失敗した政策の中身は、グローバル化、大正デモクラシー、国際協調などです。きらびやかで、耳障りのいい政策。でも、日本という国に合うようにこれを換骨奪胎をすることができなかった。だから失敗した。そして、その後の政治的な流れと、換骨奪胎できなかったことに対する反動(軍部の動き)があいまって、戦争に突入してゆきました、ということです。
ある程度、納得できました。
しかし、大正期の失敗の影響は、今でもあるように思えます。グローバル化、国際協調などの言葉。あるいは大正デモクラシー時期の社会主義の流れ、など。
改めて、歴史の連続性、必然性を確認することができました。
「国民の文明史」を読む(8)(終わり)