中西輝政著の「国民の文明史」を読んで、
日本という国には、本来、「換骨奪胎の超システム」があって、
その流れをくむのが、意外と京都大学の理系の人たちであって、
それは、ノーベル賞科学者の湯川秀樹や福井謙一だ、という議論に驚きました。
事実、京都大学にゆかりのノーベル賞受賞者は10人に上り、そのすべてが自然科学系の研究者です。
日本では、東京大学出身の受賞者が、やっぱり一番多いそうなのですが、文学賞や平和賞などの人文系の3人(川端、大江、佐藤)が含まれます。京大はすべて自然科学系です。
京大でどんな教育がされたのか、わかりませんが、結果として、西田哲学(ドイツ哲学を換骨奪胎した)の流れが、ノーベル賞レベルの実績につながっている、という話です。
自然科学の研究は、世界中で行われていて、激しい競争の中にあるのですが、その着想、直感というのが、日本的なものである限り、独創性に満ち、すばらしい成果となる。そして、結果としてそれはノーベル賞につながってくる、ということですね。
それが中西輝政が「国民の文明史」の中で言いたかったこと。
それは、果たして真実なのか、おそらく議論があるところなのでしょうけど、ともかくは、これを出発点として、これからの日本の科学技術について考えてみることにします。
日本の科学技術を考える(1)(終わり)
※福井謙一;フロンティア軌道法を提唱し、有機反応を統一的に説明することに成功。
福井の名言;
・メモしないでも覚えているような思いつきは大したものではない。
メモしないと忘れてしまうような着想こそが貴重なのです。
・ひとりの人間は、無限の過去、無限の未来とつながっている。
・自分のやりたい学問と距離のある学問であればあるほど、後になって創造的な仕事をする上で重要な意味をもってくる。