Blog 真っ青な空

工学博士が環境を考える

日本の科学技術を考える(5)

日本の科学技術を考えています。

 

 

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失われた20年という言い方がよくされます。バブル崩壊後の1990年代から2010年代初頭までの20年間のことです。この間に、日本は停滞し、韓国、中国、あるいはインドなど新興国の追い上げにさらされ、現在の状況にいたったということです。

バブル崩壊までは、日本の製造業は圧倒的な力を持っていました。
ソニーパナソニック、シャープなど、あるいはトヨタ、ホンダなど。

その技術は他社の追随を許さない、そんな気迫があった。

 

1980年代に、”JAPAN as No.1” と言われた時代ですね。 

 

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今まで日本を牽引してきた、その製造業が衰退してゆくと、日本の科学技術もその成果の出口がわからなくなってきます。大学で高度な科学技術教育を受けても、それを活かせる場が少ない。そんな時代になってしまうかもしれません。

 

だとしたら、大学を終えても、自分で考えて、将来の社会ニーズを掴んで、それに向けて独自に勉強して、生き抜いてゆく。そんなスタイルが普通になってゆくかもしれません。

 

以前、中西輝政著の「国民の文明史」を読んで、
日本という国には、本来、「換骨奪胎の超システム」があって、

その流れをくむのが、意外と京都大学の理系の人たちであって、
それは、ノーベル賞科学者の湯川秀樹福井謙一だ、という議論に驚きました。

 

彼らの時代は、まさしく日本が高度経済成長していった時代。日本独自の「換骨奪胎の超システム」が、かろうじて働いていた時代だったのかもしれません。

 

だから、高度成長でき、日本経済は成功した。

 

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では、今はどうなのか、と言えば、

 

日本が本来もっていて、これが有効に動作するとき、日本は繁栄する、という「換骨奪胎の超システム」が、うまく機能していない。

 

 換骨奪胎、というのはあくまでも、外からの文明、文物を、日本に合うように変えて、そして吸収して自分のものにしてゆくというシステムです。

 

世界の中で、経済成長を遂げてしまった日本は、もはや外から吸収しなければならない切実さもなく、自らが、これからはこうである、と、自ら進めてゆく時代が、とっくに来ていて、でも、それは日本がもっとも不得意として、今までやったことがないもの。

 

そんな気がします。

 

 

日本の科学技術ですが、日本の、日本人のためのものであっていいと思います。

それは、グローバルでもなければ、ダイバーシティーでもない、身近にいる日本人が幸せになれる科学技術であればなんでもいい。

 

内向きで、消極的に見えるかもしれませんが、今の日本には、それがもっとも合っている。そう思うのですが。

 

日本の科学技術を考える(5) (終わり)完