日本の科学技術を考えています。
失われた20年という言い方がよくされます。バブル崩壊後の1990年代から2010年代初頭までの20年間のことです。この間に、日本は停滞し、韓国、中国、あるいはインドなど新興国の追い上げにさらされ、現在の状況にいたったということです。
バブル崩壊までは、日本の製造業は圧倒的な力を持っていました。
ソニー、パナソニック、シャープなど、あるいはトヨタ、ホンダなど。
その技術は他社の追随を許さない、そんな気迫があった。
1980年代に、”JAPAN as No.1” と言われた時代ですね。
今まで日本を牽引してきた、その製造業が衰退してゆくと、日本の科学技術もその成果の出口がわからなくなってきます。大学で高度な科学技術教育を受けても、それを活かせる場が少ない。そんな時代になってしまうかもしれません。
だとしたら、大学を終えても、自分で考えて、将来の社会ニーズを掴んで、それに向けて独自に勉強して、生き抜いてゆく。そんなスタイルが普通になってゆくかもしれません。
以前、中西輝政著の「国民の文明史」を読んで、
日本という国には、本来、「換骨奪胎の超システム」があって、
その流れをくむのが、意外と京都大学の理系の人たちであって、
それは、ノーベル賞科学者の湯川秀樹や福井謙一だ、という議論に驚きました。
彼らの時代は、まさしく日本が高度経済成長していった時代。日本独自の「換骨奪胎の超システム」が、かろうじて働いていた時代だったのかもしれません。
だから、高度成長でき、日本経済は成功した。
では、今はどうなのか、と言えば、
日本が本来もっていて、これが有効に動作するとき、日本は繁栄する、という「換骨奪胎の超システム」が、うまく機能していない。
換骨奪胎、というのはあくまでも、外からの文明、文物を、日本に合うように変えて、そして吸収して自分のものにしてゆくというシステムです。
世界の中で、経済成長を遂げてしまった日本は、もはや外から吸収しなければならない切実さもなく、自らが、これからはこうである、と、自ら進めてゆく時代が、とっくに来ていて、でも、それは日本がもっとも不得意として、今までやったことがないもの。
そんな気がします。
日本の科学技術ですが、日本の、日本人のためのものであっていいと思います。
それは、グローバルでもなければ、ダイバーシティーでもない、身近にいる日本人が幸せになれる科学技術であればなんでもいい。
内向きで、消極的に見えるかもしれませんが、今の日本には、それがもっとも合っている。そう思うのですが。
日本の科学技術を考える(5) (終わり)完