Blog 真っ青な空

企業を定年退職したエンジニア、科学技術コンサルタントやってます。

司馬遼太郎のこと(12)

時代をさかのぼりつつ、司馬遼太郎歴史小説について書いてきました。

そのあとは、評論も。

 「明治という国家」「昭和という国家」

blue2020.hateblo.jp

 

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ほかに、「この国のかたち」があります。文春文庫で、全6巻。長い本です。

本の説明から、文芸春秋で連載されたエッセー。日本の風土や文化、宗教、組織論など幅広い分野を、司馬が独自の視点と平易な文章で考察しているものだそうです。

 

これについても、今回、書いてみます。

 

 

司馬は同書の冒頭で、友人の書いた言葉として、「日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている」という一節を引用しています。それが日本人というものだ。これは、そうだなとすんなり納得します。

無思想の発見という本、養老孟司著でも、無思想という思想が、日本の思想である、といっています。それに近い理解です。

無思想の発見 (ちくま新書) | 養老 孟司 |本 | 通販 | Amazon

 

そして、鎌倉時代の武士に育まれた「名こそ惜しけれ」の精神。私利私欲は恥という考えが、近代の日本人にも大きな影響を与えた、ということ。

 

これも、そうだよな、と思います。

 

しかし、一方で、明治から昭和にいたる道筋。

その道は、統帥権参謀本部が牛耳る日本でした。司馬は、このような日本をあえて「異胎」がつくった国と呼び、「別国」とも言いました。司馬が、ずっと小説の中で考えてきた本来の日本ではない日本、という意味です。

でも、この国のかたちを通読しても、なぜ、その「異胎」が現れたのか、それは果たして日本人の本質なのか、違うのか、に対する答えはありません。

 

同じ思いをしている方もおられます。

1000ya.isis.ne.jp

 

勝手ながら引用させていただきます。

・・・・・軍の解釈によると、統帥権の基本には「帷幄上奏権」というものがあった。天皇統帥権の輔弼者である軍の統帥機関(陸軍は参謀本部で、海軍は軍令部)が、首相や国会にはかることなく戦争行為を始めることについて、単独で上奏できるというのである。帷幄(いあく)とは『韓非子』にも出てくる野戦用テントのことをいう。
 この帷幄上奏権に加えて、明治憲法においても天皇は「無答責」にあったから、これで軍部は勝手に戦争に邁進していった。それどころか、作戦も何もかもにおいて、日本の政治家と官僚は天皇をカサに利用するようになった。
 これが「異胎」の時代なのである。司馬遼太郎はこの時代を自分が生きていたことに異和感をおぼえ、そこには「日本」がないのではないかと感じた。・・・・・(引用終わり)

 

歴史的な経緯はわかりました。
でも、明治から昭和、その連続性が、必然性が依然としてわからない。

 

もしかして、そのとき日本人は失敗したのか、

 

明治期の福沢諭吉が言っていたのが、「換骨奪胎」
換骨奪胎;先人の詩や文章などの着想・形式などを借用し、新味を加えて独自の作品にすること。福沢は脱亜論でこの言葉を使っています。

 

それは、西洋文明に直面した日本、その文明は受け入れつつ、独自の色をつけて日本自身のモノにする、ということ。

 

明治維新は、成功と言われているのですが、実はこの換骨奪胎が機能しきれず、統帥権参謀本部、帷幄上奏などが現れてしまい、「異胎」となった、そうも言えるように思います。

 

だとすると、終戦から現在に至るまで、その換骨奪胎の不完全さが尾を引いていて、本来の日本はない、ということになってしまいます。空恐ろしい気分になります。

 

もう少し、自分なりに考えてみます。

 

司馬遼太郎のこと(12)(終わり)