Blog 真っ青な空

工学博士が環境を考える

日本学術会議のこと

最近、日本学術会議のことで国会でもめています。

 

ja.wikipedia.org

 

2020年9月、内閣総理大臣菅義偉が、日本学術会議が推薦した会員候補のうち一部を任命しなかった問題。現行の任命制度になった2004年以降、日本学術会議が推薦した候補を政府が任命しなかったのは初めてのこと、という話です。

 

これに対して「学問の自由を脅かす極めて重大な事態」などの批判が共産党などから出ています。

 

自分は、今まで研究をやってきましたが、まったく縁のない世界の話です。

 

ちょっと勉強してみます。

日本学術会議は日本の国立アカデミーで、内閣府の特別の機関の一つ。日本の科学者の代表機関であり、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的とする(日本学術会議法 第2条)。1949年に発足。研究者による直接選挙を実施し、当時は「学者の国会」と呼ばれた。政府への勧告で多くのセンターや研究所の設立を実現し、原子力研究三原則を提言。南極特別委員会で南極探検にも貢献した。

 

その学術会議の目的は、政府への答申や勧告なのですが、最近はほとんど行われていません。

「答申」とは、専門科学者の検討を要する事柄についての政府からの問いかけに対する回答。
「勧告」とは、科学的な事柄について、政府に対して実現を強く勧めるもの。

 

答申の最新は、2007年。13年前!

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勧告の最新は2010年、10年前!

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この10年あまりは、なにもない。

しかし、2017年には「軍事的安全保障研究に関する声明」を出しています。「軍事研究に慎重であれ」という宣言です。

 

政治的な思惑のある声明、ですね。
学者は、真摯に自分の専門分野を磨き、研究をすすめるべきだと思います。
自分の学術的な業績を踏み台に、政治的な発言をすべきではない。なぜなら政治の素人だからです。

 

学術会議の予算は年間10億円で、うち4億が人件費。

組織改革を今、行うのが妥当のように思えます。

 

その昔、明治のころです。

日露戦争開戦直前の1903年明治36年)6月10日付で当時の内閣総理大臣桂太郎外務大臣小村壽太郎らに東京帝国大学教授7人から意見書が提出されました。内容は桂内閣の外交を軟弱であると糾弾して「満州、朝鮮を失えば日本の防御が危うくなる」とし、ロシアの満州からの完全撤退を唱え、対露武力強硬路線の選択を迫ったものでした。この意見書は主戦論が主流の当時の世論に沿ったもので、反響も大きかったが、伊藤博文は「我々は諸先生の卓見ではなく、大砲の数と相談しているのだ」と冷淡だったという。

 

これは、昭和のはなし。

終戦後、講和をどう進めようか、としているとき、全面講和か、単独講和か、議論がありました。

昭和25年、当時の吉田茂首相は全面講和ではソ連(当時)の反対があり、講和条約は成立しにくい。それよりも日本を独立国として承認をしてくれる国々との講和(単独講和)を推進すべきであると単独講和論の推進をすすめようとしていた。一方、特に容共派・進歩的学者と言われる人々は、ソ連を含む共産国家とも講和条約を締結すべきと論じていたのである。当時の東大総長をしていた南原繁政治学者)が東大の卒業式で単独講和反対、全面講和を推進すべしという内容の式辞を述べた。それを聞いた吉田首相は南原総長を曲学阿世の徒」と非難したのである。「曲学阿世」というのは「世間にへつらって真理を曲げること」という意味であるが、南原総長にしてみれば「国民の多くも望んでいる全面講和説を学者の立場から主張を述べることが何が悪いのか」と反論したのである。現代流でいえばポピュリズム

現実を見ない学者が、その権威を振りかざして政治に関わろうとしてもろくなことがおこりません。それが今でも繰り返されているように思えるのです。

 

日本学術会議のこと(終わり)

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