Blog 真っ青な空

企業を定年退職したエンジニア、科学技術コンサルタントやってます。

司馬遼太郎のこと(10)

司馬遼太郎歴史小説について書いています。

 ずっと、時代をさかのぼって、前回は室町末期の北条早雲のはなし。

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でも、司馬は、歴史小説だけでなく、数多くの評論を残しています。

 

例えば、「明治という国家」

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内容はこんな感じ・・・

これは、「明治」は、清廉で透きとおった“公”感覚と道徳的緊張、モラルをもっていた。明治国家という人類普遍の遺産を語る、日本論であり、卓越した文明論。

明治維新は「革命」であったのか、薩長土肥連合による王政復古クーデターにすぎなかったのか。歴史家の間で意見の分かれるところである。本書で司馬は、幕藩体制の担い手だった武家階級が自らのハラキリによって「廃藩置県」を実現し、「国民国家」の土台を築いたことは、世界にも稀な革命であった、という明快な史観を展開してみせる。これほどの「政治的破壊作業」ができたのは、欧米列強のアジア進出に「日本人が共有していた危機意識のおかげ」だった。明治は「透きとおった、格調の高い精神でささえられたリアリズム」の時代で、そこに出現した「明治国家」は、江戸270年の精神遺産だった。司馬は江戸と明治の2つの時代に、脈々と流れる精神の連続性を見る。その具象として、小栗忠順勝海舟福沢諭吉西郷隆盛大久保利通ら多彩な群像を、科学者の透徹した目と小説家の豊かなイマジネーションで、鮮やかに浮かび上がらせる。「明治は多くの欠点をもちつつ、偉大としかいいようのない」時代だった。これに対して、戦後までの昭和は「イデオロギーが充満して国家や社会をふりまわした時代」で、まるで別国、別民族の観があると言う。

 

司馬のこの本を読むと、あの時代、日本人は、実に真剣に考え、真剣に行動したか、がわかります。そして、その日本人たちが自分の、ちょっと前の先祖であることにとても誇りを持ちます。司馬もそう思っていたことだと思います。幕末から明治維新まで、幾多の人たちが出て、活躍していったのですが、その人たちが、おのおのの立場で、おのおのが信ずるものにしたがって行動して、それが明治という時代に結実することで、日本の近代化が驚くべき成果を挙げた、ということだと思います。

 

司馬が、よく説く、江戸時代の教育(儒教を排除した日本独自の)の重要性。

そして、やはり、この教育の成果があって、明治維新への移行と明治の成功につながった、という歴史観。とっても説得力があると思います。

 

ただ、この明治から、大正、昭和へとつながる歴史の必然性が司馬の本からは読み取れません。これは、今を生きる私たちが考え抜かなければならないことなのかもしれません。

 

司馬遼太郎のこと(10)(終わり)