司馬遼太郎が好きで、たくさんの歴史小説や評論を読んできました。
それで、その司馬の作品から、これからの日本、あるべきふるまい(科学技術も含めて)を考えてみたいと思い、書いてきました。
司馬の小説、室町時代から、戦国、江戸時代、さらに幕末、明治と読んできて、
鎌倉時代の武士に育まれた「名こそ惜しけれ」の精神。私利私欲は恥という考え。そして、儒教を受容しない、おもに地方での儒学教育。この教育の成果があって、明治維新への移行と明治の成功につながった、という歴史観。
これが「司馬史観」というもの。それが理解できたような気がしました。
でも、そのあとの明治から昭和、その連続性と必然性がわからない。
司馬は、昭和の日本を「異胎」と言ってしまったことで、その解剖と分析を投げてしまった。そんな残念な気持ちにもなります。でも、司馬は、歴史学者ではなく、歴史小説家です。なので自分が考えていることへの回答は別のところに求めることにしました。
京都大学の教授だった国際政治学者および歴史学者の中西輝政著、「国民の文明史」を読んでみました。ほかに「大英帝国衰亡史」、「帝国としての中国」、「アメリカ外交の魂」なども。
「国民の文明史」の内容・・・
第一章 文明史が示す日本の現状と危機
第二章 「文明史」とは何か
第三章 日本文明史に見る「超システム」現象
第四章 「縄文」と「弥生」の日本文明史
第五章 日本文明が揺らぐとき
第六章 昭和の大戦の文明史的意味
第七章 世界の中の日本文明――比較日本文明論I
第八章 日本はアジアではない――比較日本文明論II
第九章 文明としての米・中との対峙
第十章 文明史から見たあるべき日本の改革
第六章には昭和の大戦の文明史的意味も論じられています。
司馬史観では語られない時代についても答えがあるかもしれない。
そんな想いで読み進んでみました。
「国民の文明史」を読む(1)(終わり)