ちょっと前に、
理系文系、どちらに行こうか、といった昔話をしました。
そんなことを書いていて、
ふと、思いついて、就職についても書いてみることにしました。
自分が初めて社会にでたのが、大学院を終えた24歳のとき。
1985年です。
1985年とはどういう年だったかというと、
歴史的なプラザ合意が行われた年ですね。
『プラザ合意』
・・・1970年代末期のようなドル危機の再発を恐れた先進国は、自由貿易を守るため、協調的なドル安路線を図ることで合意した。とりわけ、アメリカの対日貿易赤字が顕著だったため、実質的に円高ドル安に誘導する内容だった。これがプラザ合意である。発表翌日の9月23日の1日24時間だけで、ドル円レートは1ドル235円から約20円下落した。1年後にはドルの価値はほぼ半減し、150円台で取引されるようになった。
また円高により、「半額セール」とまでいわれた米国資産の買い漁りや海外旅行のブームが起き、賃金の安い国に工場を移転する企業が増えた。とりわけ東南アジアに直接投資する日本企業が急増したため、「奇跡」ともいわれる東南アジアの経済発展をうながすことになった・・・
しかし、実態としては’84-’85にかけても円高不況がささやかれていて、就職もまだ厳しかった記憶があります。 当時はインターネットもなく、大学の掲示板に掲げられた求人票をよく見に行ってましたね。あるいは、研究室の教授から推薦をいただいて、コネのある企業を紹介してもらう、とか。
自分が、学部で終わらずに、大学院まで進学したのは、就職状況が好転するのを待つ、ということと、院卒の経歴の方が就職に有利(理系の場合)だったからです。
当時の大多数の考え方は、やはり大企業(例えば一部上場企業とか)に入って、そこそこの給料をもらって、安定した人生を送る、ということでした。それになんの疑いも持っていなかった、ですね。
ただ、その後、会社に入って、何年かすると、友人から、転職したよ、という連絡が来るようになりました。
結局、自分も転職したのですが、それはバブル前後のころ。
おそらくあの時代、すでに終身雇用というシステムが実質的には崩壊していて、その空気の変化を自分も含めて嗅ぎ取っていたのだと思います。
就職(終わり)